子どもさんの語彙力,驚くほど個人差が…

 8月16日(木)午後3時。晴れたり曇ったり。

 昨夜は比較的涼しかったですね。ぐっすり寝られました。昼間はあい変らずですが,それでも,一時の酷暑は峠を越えたのでしょうか。

 今,済美高校がベストエイトを決めました。おめでとうございます。今日も完投のエース君(名前忘れました),球数は比較的少なかったようですが,ひじ,肩,悲鳴を上げているのではないでしょうか。次のゲームまで,十分休養を取ってくださいね。

 しかし,高知商のエースの子,済美のエース君と同様予選からずっと一人で投げ抜いてきたとのことですが,見事な貫禄ですねー。高校生とは思えん(笑)。余計なお世話でした。反省。

 さて,今日は国語について。

 今の子供さん,語彙量には個人差が驚くほどあります。語彙には理解語彙と使用語彙がありますが,ここでは,見聞きしたときに意味の解る語彙,つまり理解語彙とします。

 国語の読解問題に取り組むとき,理解語彙が少ないと,当然,文章の意味をつかむことが難しくなるわけです。

 手が動かなくなっている生徒さんに,文章中に使われている言葉の意味を聞くと,ポイントになる言葉の意味が全く解っていなくて,唖然とすることがあります。もちろんそれほど難しい言葉ではありません。解る生徒にとっては問題にならないような平易な言葉です。それだけに事態は深刻といえるでしょう。

 なぜここまで差が大きくなるのか。いろいろな要因があると思います。よく言われるのは,読書の習慣があるかどうか。例えば,毎日新聞を読む習慣のある生徒とそうでない生徒,毎月数冊の本を読むのが当たり前の生徒と,ほとんど本を読まない生徒では,語彙量がちがって当然です。

 しかし,そればかりではないようです。意外と見過ごされているのが,家庭内で日常的に行われている会話における使用語彙量。これ,重要だと思います。

 家庭で行われている会話で使っている言葉の数,家庭によって驚くほど違うようです。300の言葉で構成されている家庭もあれば,500,1000,2000の言葉を当たり前に使っている家庭もある。これ,私の個人的意見ではありますが,複数の教育関係のホームページに,同じようなご意見が載っています。

 どこでこの差が生まれるのか。いろいろな要因があると思いますが,その一つが表現のし方の問題です。

 例えば,『かわいい』。服を見て『かわいい』と表現する。この場合,『可愛らしい』という本来の意味での『かわいい』もあるでしょうが,美しいとかしゃれている,大人っぽい,センスが良い,色が似合っている,デザインが斬新である等々,全ての肯定的なイメージを,『かわいい』で片づけてしまっている場合も多いようです。

 日常会話,一事が万事この調子では,子どもさんの語彙力,増えるわけがありませんよね。日常会話が300で済んでしまうのもうなずけます。

 それから,日常会話が文章で構成されているかどうかも気になるところです。例えば,食事の時に,
「そこのしょうゆ,とって」なのか,「それ」の一言で終わるのか。へたすると,「それ」もない場合もある。指差すだけとか。

「ご飯,おかわりお願いします」なのか,単に「おかわり」なのか。茶碗を突き出すだけ・・・の場合もありそうです。

 要は,日常会話の国語的な質。日々の積み重ねを考えると,大きな差を産んでも不思議はないでしょう。

 そういう意味で,小さな子供さんに対して,いわゆる幼児言葉を使うことに反対する人もいるようです。これについては私も共感しております。

 話にまとまりがなくなってしまいましたが,特に,家族との会話が多い低学年の子供さんの場合,日常会話を少し工夫することで,語彙力を増やす,また,言葉に対する感覚を養い,興味を持たせることができるかもしれないというお話です。難しくないです。日常の中で,大人が大人としての日本語をきちんと話せばよいのですから。

 本日これまでといたします。お付き合いいただきありがとうございました。明日からはまた,数学,算数の指導の話に戻ろうと思います。またぜひ足をお運びください。

 

 

 

 

 

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